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今更ながら…

あけましておめでとうございます<(_ _*)>


ほとんど更新していないブログではありますが、
首の乾一枚な感じで今年も続けていけたらと
新年にふさわしくない決意のような全く逆のようなことを思いつつ
ご挨拶申し上げる非礼をお詫びいたします。
いきなり謝罪かよっ、と自らツッコんでおります。


思えば年末年始はほぼ寝たきりで、Xmasとやらの記憶もあまりなく、
年始はかろうじてウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートを家族で観たというくらいで、初詣にさえ未だ行っていない体たらくであります。
それでも音楽を聴いたり、本を読んだりはしてましたけども。
(本の感想などは、また気が向いた時にでも書いてみようかしらん。
少しはブログの足しになるかという腹黒い考えであります。)


昨年は踏んだり蹴ったりというよりも、
しばかれたりどつかれたりした上に地面に倒されて背中を踏んずけでいかれたよーな年でした。
よーするに散々の上にも散々な年でした。
それもこれもあれもどれも自業自得であります。
だって、その合間合間には心優しい方々のおかげで嬉しい楽しいありがたいこともありましたから。感謝☆


今年はも少しだけ、もちょびっとだけマシな年にしたいな…と
身の程をわきまえつつ、少しは明るい年にしたいなと
身の程をわきまえたつもりの野望を抱いております。
そして、相変わらず暗いおはなしを
ぽつぽつと書けたらと思っております…。

気が向いた時で構いませんので、
よろしくお付き合いいただければこの上ない幸いであります。


新年のご挨拶とも言えない変ちくりんな、
でもワタシらしいご挨拶を申し上げます。

皆様の一年が喜び多い年となりますよう願いつつ。


ダンケ拝


(ちなみに…

このブログは時間指定でうpしておりますので、うpした時間にワタクシは起きていないと固く固く断言いたします。
殴るなりしばくなりどつくなりお好きにどうぞ。にっこり)

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弱くて優しい部屋

その部屋は主同様これといった特徴がなく冴えなかったが、居心地はよかった。

主は鈍そうで面白味に欠けるが、とにかく人の良さそうな男だった。

男は丁重に私を招いてくれた。

そして、こぢんまりとしたその部屋に通された。

男は地味でくたびれてはいるが座り心地の良いソファをすすめてくれた。

さらにはお茶の準備をしている間に、

これまた地味だが手触りのよいクッションの位置を直してくれ、

カーテンを開け閉めして明かりを調節したり、

暖炉の様子を見たり、当たり障りのない話をしたりして、

私が少しでも快く過ごせるように世話を焼いてくれた。

それから濃くて美味しいお茶と、

ありふれてはいるが焼きたてのお菓子をあれこれ並べて出してくれた。

私がその部屋にいる間中、男は私の様子や機嫌をうかがっているようだった。

しかし、強いて視線を合わせようとはしなかった。

そんな男は幸せそうにも見えたし、少し寂しそうにも、悲しそうにも見えた。


やがて私は暇を告げた。

男は私が少しでもくつろいで過ごしたかどうか、

なにか気分を害したりはしなかったか、

居心地の悪い思いをしなかったかどうか、しきりに気にしていた。

男は最初から最後まで優しく気遣い、もてなしてくれた。

同時に、私に嫌われないかと気を揉んでいたようでもあった。

男の優しさは男の弱さや臆病さに根差しているように感じられた。

弱い人は他人に嫌われるのを極端に恐れるからだ。

弱さや臆病さは狡猾さにも繋がる。

時として優しさの仮面を被った冷酷な狡さにもなるだろう。

しかし、この男の場合は冷酷な狡さではなく、

ひたすら他人に対する優しさへと向けられたのだ。


私はそんな弱くて気が良くて優しい男のために祈った。

彼がいつか、本当の優しさ、

強くて自信をともなった優しさを身につけられるようにと。

おそらくそのような機会は訪れないだろうが、

祈らずにはいられなかった。

<終わり>


theme : ブログ
genre : ブログ

それぞれの世界(ちょっぴり長文)

私が見ているもの、感じているものと、あなたの見ているもの、感じているものは違う。

私の「世界」とあなたの「世界」は同じ世界に生きていても、違う。

それはそれぞれの「脳」が違うからだ。

私以外の人がいろいろなものをどんな風に見、どんな風に感じるのか、私は決して知ることはできない。

少なくとも、今は。


人はみな「脳」という器の中に生まれてから死ぬまで閉じ込められている。

その「脳」に自分の経験したことや感じたこと、好き嫌い、悩み、幸せなどなどを蓄積している。

たとえ同じ体験をしたとしても、私とあなたとでは「脳」に蓄積される要素は違うのだ。

そして「脳」によってそれぞれの「世界」の見方、在り方は変わってくる。

人は「脳」から解き放たれることはない。

少なくとも死ぬまでは。

その後のことは生きている人には分からない。

今のところは。


だから、人が完璧に100%、お互いを理解することなどあり得ないのだ。

同じ様なことを考えていても、それは似ているだけであって同じではない。

他の人のことをどれだけ受け容れられるかで、

恋愛や人間関係は成り立ったり成り立たなかったりするのだろう。

宗教や教育や政治が世界を平和にするものかどうかは私には判らない。

むしろ逆効果なのではないかと思うこともある。

自分以外の人を受け容れること、それはどんな宗教の教義にもありそうなことに思えるのだが。

宗教や教育、政治情勢については詳しくないので、なんとも意見できない。

そのあたりは私の観念的なものばかりで、実際には勉強不足で申し訳ない。

ライン(モノトーン)


人が自分の人生を生きるためにはそれぞれの「脳」に蓄積された

情報や感情、感覚、好きなこと、嫌いなこと、夢とか目標、やるべきだと思うこと、

無駄だとしてもやりたいこと、幸せだと思うこと、

そういった様々な要素について、できるだけ明確に答を持つことが大事なのではないか。

ふとそんなことを考えた。

「自分らしく生きるためには自分のアタマで考え、決めるしかない」ということ。


(そして、それは今の私からははるかに遠いことなのだ…。

いや、私も刹那的な答は出しているのかもしれない。

私の現状が「私の今望むことだ」、と。

そのへんは棚にあげておいて、もう少しだけ続けたいと思う。)

ライン(モノトーン)


人は自分と違う考えや宗教や立場の人を受け容れることがなかなかできない。

自分とは違う人達が存在するのだということを認めることは容易くない。

しかし、たとえ受け容れられなくても、少しでも認めることができたなら、

自分の「世界」もいろんな「世界」も少しよくなるんじゃないかな。

ほんの少しでもできれば…。


ハトとクローバー



(ふとした思いつきで書いた文章で、いろいろと矛盾や間違ったところもあるかもしれない。

また、これを読んで不快に感じる方もいるかもしれない。

そうならば素直に謝意を表します。 ダンケ)



明るい三日月

星満月星

家塔


4羽の鳥



緑の草緑の草緑の草緑の草




**画像は「まったりほんぽ」さんからお借りしました**





恋に焦がされる2人

その部屋の扉はとても熱かった。

私は思わずノブから手を離したほどだ。

ハンカチを手に巻いて、おそるおそる扉をあけて中をのぞいてみた。

部屋は炎に包まれているような暑さだった。


部屋の右手と左手の壁際に男性と女性が1人ずつ立っていた。

彼らの目の前にはそれぞれ額におさまった肖像画がかけてあった。

よくよく見ると、男性の側の絵には彼が背を向けている女性が描かれており、

女性の側の絵は、これまた彼女と背を向け合っている男性の肖像であった。

それぞれの肖像画はまるで本物の人間であるかのように生命力に溢れ、

ときには身動きさえしているように感じられた。


男性は女性の肖像画に向かって一生懸命なにかを語りかけてみたり、

花束やさまざまなプレゼントを差し出したりしていた。

しかし、絵の女性が一心に見つめているのは反対側の壁で、

男性がどれだけ熱烈に恋心を伝えても見向きもしなかった。

一方、女性も男性の肖像画に向かって笑顔を見せてみたり、

さめざめと泣いてみたり、

そっぽを向いたふりをして気を惹こうと頑張っていた。

しかし、やはり絵の男性が目を向けているのは反対側の壁であった。


やがて私は気がついた。

肖像画の男女は見つめ合っているのだ。

それも熱っぽく激しく狂おしいまでに。

2人は愛し合っているのだとたやすく分かった。

それぞれの絵に描かれているのは反対側にいる男女なのに。

彼らは決して振り向こうとしない。

絵から目を逸らそうとしないのだ。

求める相手は自分の背後にいるというのに。

男女や肖像画の人物たちが愛を募らせれば募らせるほど、

部屋の温度はどんどん上がっていくようだ。

しかし、彼らは気にもしていなかった。

ただひたすらに目の前にある絵の中の相手の気を惹こうとしているのだ。


いつの日にか、絵に向かっている男女が、どちらか1人でもいい、

なにかの拍子にふと後ろを振り返ることがあるだろうか。

そうしたら彼らはどうなるのだろうか。

瞬く間に恋に落ちるのか、それともなんの変化もないのか。

私は気になりつつもあまりの暑さに耐えきれず、その部屋をあとにした。

<終わり>


ありがとう、スティーブ・ジョブズ

Appleの偉大な創設者であり、牽引者でもあった

スティーブ・ジョブズ氏が亡くなった。

若すぎる死だった。

私にとってはアイルトン・セナの死以来のショックかもしれない。

セナのあの事故をブラウン管で目撃してから何年だろう…。


と、脱線しかけたが…(汗)

とにかく、スティーブ・ジョブズ氏の功績は誰もが知るところだろう。

私が初めて出会ったパソコンはとにかく四角いMacintosh だった。

(型番は失念した…この辺りがダメなところ…><)

しかし、それは父のモノで私はほとんど触らせてもらえなかった。

自分のパソコンを手に入れたのは大学生の時。

当時出たばかりの2代目カラフルなiMac だった。

あのデザインにひとめぼれしたのだ。

MacとはAppleとは、Winとの違いは、なんてちっとも考えていなかった。

ただただ、ひとめぼれ。ああ素敵

その後、幾多の苦労をともにした(というか、苦労をさせられたが)

このiMacとのお付き合いはけっこう長かった。

その後、iMacがお亡くなりになったため、泣く泣く新しく買い換えたり

白くて素敵なiBookを買ってみたり、iPodも何台も衝動買いした。

Appleには本当にお世話になった。

(というより、懐を寂しくさせられたと言うべき?)

プライベートはずっとApple色である。

今もこのブログはMacBook Proで書いているし、

手元にないと寂しいくらいなのはiPod touchというていたらく。

残念ながら諸事情でiPhoneは持っていない…。

とにかく、MacやiPodたちの性能を活かしきれていないへなちょこユーザーであるが、

スティーブ・ジョブズとAppleは私に、はかりしれない楽しみを与えてくれた。

感謝してもしきれない。

本当にありがとう。

天国でも最高のオモチャを創ってください。


ダンケ拝 Apple




林檎と林檎


来てくれてアリガトウ

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danke3

Author:danke3
しょーもないことをよく考える人。
大阪から阪神タイガースと高橋大輔選手に愛を叫ぶ、よく寝る人。
おっさんのMダックス2匹と暮らしてます。

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